top of page

#2【パンってほんとにうまい】

 早いものでこの連載も第二回目となりました。この連載はもちろん誰から頼まれたわけでもなく、自主的に突発的に思いつきで始めたものなので、やりたいときにやれば良いはずなんですが、一応なんとなく第2・第4月曜日に更新と決めたところ、その日程が迫ってくると焦りを感じるようになってしまいました。これが締め切りというものの魔術的なパワーです。


 誰にも頼まれていないのに勝手に始めた活動にも関わらず「俺は連載を持っているんだ」と錯覚することで、自分が周りよりも優れた人間であるような気がしてきて、今回の文章では壮大なテーマの、読者の胸に響くような文章を書こうという傲慢さも生まれていました。実際にこの第二回目のタイトルも「人は何のために生きるのか。」となりかけたので、慌てて軌道修正をしてなんとか等身大のテーマを維持することができそうです。パンってほんとにうまい。


 皆様の予想を裏切ることになるかもしれませんが、僕はこの文章を書きながらパンを食べているわけではありません。しかし、パンは美味しいと断言することができる。そこにパンというものの凄みがあります。「お寿司は美味しい」と発言するよりも力強く「パンってうまいぞ」と言うことができるのです。


 パンは満遍なくおいしい。お寿司はそもそもそんなに頻繁に食べないので、美味しいかどうか判断する前に味を思い出す作業が必要になります。そして広大な記憶の海を旅しながら、遠くに美味しいお寿司の記憶が見えてくるのですが、その手前にたくさんの「やる気のない寿司」が出現することになります。スーパーマーケットで閉店間際に割引きシールを貼られている寿司たちですね。その「やる気のない寿司」のやる気のなさと言ったら大変なもので、せっかく寿司として生まれてきたにもかかわらず、こちらの記憶に残ろうという気が微塵も感じられません。そのため、お寿司の美味しさの記憶というのは、旅行先の漁港で食べた新鮮な回転寿司や、何かのお祝いで訪れた回らないお寿司屋さんなど、人生で登場回数の少ない出来事によって形成されているのです。そのような「やる気のある寿司」が美味しいだけであって「微妙な寿司は微妙」なんですね。


 パンは満遍なくおいしい。次第にこの言葉の意味が分かってきましたね? まず第一に「おいしいパンはおいしい」。この事実に反論の余地はないと思います。白くて長いコック帽を被った職人がつくりあげる、いわゆる「やる気のあるパン」は、何を食べてもおいしいです。朝も昼も夜もいけます。そういうお店の場合、閉店間際に売れ残っているパンですら、僕にはキラキラ輝いて見えるのです。そしてここからが凄いのですが、スーパーで安売りされているような「やる気のないパン」も、けっこうおいしいのです。やる気がないので、当然こちらの記憶に残ろうという意思を彼らから感じることはできないのですが、なぜだかおいしい。


 そもそもパンは西洋からやってきたものなんでしょうが、「ブレッド」というかっこいい本名があるにも関わらず、日本では「パン」という気の抜けた名前で呼ばれているのを良しとしているところにも何だか余裕を感じられます。いつもだらしない格好で髪もボサボサなのに、なぜかモテているアイツ、みたいな感じがありますね。そのくせたまにパリッとした服を着て髪もピチッとキメたときには、そのギャップもまた良かったりするのです。これはやっぱり、おにぎりには難しいところです。おにぎりは別の名を名乗ったとしてもせいぜい「おむすび」とか「握り飯」くらいのもので、あんまりモテモテというイメージには繋がりません。お寿司もちょっと固いイメージがあるというか、毎日一緒にいるとちょっと疲れそうな感じがします。寝る時もポマードでガッチリ髪を固めてる的な感じですね。一緒に長期の旅行に行こうとは思えません。腹を割って話せる感じがしないというか。お寿司と旅行に行く場合は、二泊三日くらいが限度と言われています。もちろん国内旅行です。


 調べてみると「パン」という呼び名はポルトガル語の[pao(パオン)]が語源だそうです。これには驚きました。本名は「ブレッド」なのに、わざと気の抜けた名前で呼ばせていると思いきや、実は生まれ持った名前に由来するのが「パン」という呼び名だったんですね。飾らず、ありのままでいることがパンのモテモテの秘訣だったんです。今回は、自然体でいることの大切さをパンから学ぶことができました。


〈あとがき〉

 全く意味のない文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。お察しの通り第二回で既にネタ切れになってしまっているのですが「書きたいことがないのに文章を書く」「しかもそれを世の中に発表する」というのがこの連載のテーマです。読者の皆様も、昨今の目まぐるしい情報化社会の中で、わざわざこのホームページにアクセスして「無意味な文章を読む」というのを修行のように習慣化してみてください。

 文体も毎回変わっていきますが、目まぐるしいこの世の中で、その日の気分で当然人格も変わっていきますので、仕方がないんです。

 第三回をお楽しみにお待ちください。

 

 もし読んでいて何か思うことがあったり、書いて欲しいテーマがあるという方は、このHPの問い合わせフォームからお気軽に送ってみてください。書けたら書きます。

(次回は1/6に更新予定です。)

bottom of page