#10【ふりかけには少し難しすぎる問い】
- オクマサハル
- 4月28日
- 読了時間: 2分
『ふりかけ』ほど実態のわからないネーミングはない。実際の話、ふりかけるのは僕たちであって、彼らはどちらかというと『ふりかけられ』である。ふりかけというネーミングは、〈何を〉〈何に〉の部分が抜け落ちて〈どうする〉という動作の部分がそのまま名前になってしまったのだ。もし僕がふりかけをふりかけようとせず、空中にばらまいてもなお彼らは『ふりかけ』を名乗るというのか。それは『ばらまき』にはならないのか。たまに訳がわからなくなる。
ふりかけは主に、ごはんにふりかけられる。この「ごはん」というのもすごい。だってごはんって、全部じゃん。朝ごはん、昼ごはん、晩ごはん。もちろん分かっていますよ。ふりかけをふりかけられる時のごはんは「お米」の代名詞としての「ごはん」だということ。でも「朝ごはんはパンだ」とか、「晩ごはんはハンバーグ」だとか、みんな平気で言います。お米もごはん、お米以外もごはん。ごはんにふりかけをかける時、僕は「全部」に「動作」をふりかけているとでもいうのか。たまに訳がわからなくなる。
先ほど「ふりかけ」はむしろ「ふりかけられ」であると書いたが、ふと考えると「ごはん」もまた「ふりかけられ」である。ふりかけをふりかけられる側なのだから。そうなると「ふりかけられ」を「ふりかけられ」にふりかけている僕自身が「ふりかけ」なのではないか。妖怪の「砂かけ婆」の理論で言えば、確かにそうだ。僕はふりかけである。
ふりかけについて考えるとき、焼き肉についても気になる。あれは「焼かれ肉」ではないかと考えてみる。もしそうなら「挽き肉」も「挽かれ肉」ではないか。「アイスコーヒー」が厳密には「Iced Coffee(アイスドコーヒー)」であるように。もしかすると僕が知らないだけで、実はこんなことは常識なのかもしれない。みんなが「焼き肉」と言うとき、実際は「焼きに行く(肉を)」と言って焼かれ肉屋に入って行ったのかもしれない。また訳がわからなくなってきた。仕方のない話だ。僕はふりかけである。
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(次回は5/12に更新予定です。)