#14【数字と別の部屋で茶を飲もう】
- オクマサハル
- 6月24日
- 読了時間: 2分
駅まで歩いていたら、子連れの母親とおばあさんの会話が耳に入ってきた。母親とおばあさんはおそらくご近所さんだ。
おばあさん「◯◯ちゃんは何キロくらいあるの?」
お母さん「15キロくらいになりました」
おばあさん「わあ、お米袋3つ分だわね」
通り過ぎながら僕は考えていた。「ってことは、おばあさんはいつも一袋5kgのお米を買ってるんだな。」
僕はこの出来事を、ちょっとシュールな日常の話という感じで終わらせるつもりはない。何かの量を言葉にしたいとき、数字というものがあまりにも無機質で、秩序がありすぎて、言いたいことをうまく表現できない時がある。数字というよりは、単位と言った方が正確かもしれない。
「15キロ」と言えば、重さの説明としてはこれ以上にないくらい具体的なはずなのに、「15キロってどのくらいの重さ?」という疑問が生まれることはよくある。「視力0.5って、どのくらい?」とか。伝わらないならこの数値化に意味はあるのか?と思ってしまう時。そんな時に、例えば5キロのお米に換算して、それを3つ持っている状態を想像すると、なんだかよくわかってくる気がする。
似たようなことを僕が感じる場面といえば、家でレコードを聴いている時だ。LP一枚の収録時間はアルバムによって30分未満だったり40分近くあったりするのだが、そこには「LP一枚分」という時間が流れているような気がする。例えば40分のアルバムを聴いた後に30分のアルバムを聴いたとしても「2枚目は10分短かったな」とはあまり思わない。ただLP2枚分の時間が流れたと思うだけだ。
1秒を1秒と定義して、それが60個で1分。1分が60個で1時間。他にもキログラムとか、メートルとか。世界のどこにいても、伸びたり縮んだりしない単位というのは大切なもので、それがないと世の中が色々と大変なことになってしまうと思うのだが、道にいたおばあさんや僕のような、たった一人の人間にいとも容易く敗北してしまう場面というのは意外にも多い。
だからなに?って言われても、別になんでもないんです。道端である会話を聞いてから、駅に着くまでの間に思ったことを、後日こうして書き起こしてみたというだけの文章です。これが「天井に投げたボール」一回分の時間だよ。
もし読んでいて何か思うことがあったり、書いて欲しいテーマがあるという方は、このHPの問い合わせフォームからお気軽に送ってみてください。書けたら書きます。
(次回は7/14に更新予定です。)
